2023年8月7日月曜日

国連スピーチ内容

本校生徒2名が今回の派遣で魂を込めて伝えたスピーチの内容です。
二人は一度も原稿を見ることなく、聴衆の目を見て被爆者の思いを全身全霊で英
語で伝えました。


国連スピーチ  テーマ「We Will NEVER GIVE UP」

01
みなさんこんにちは。私たちは、広島県福山市にある、盈進高等学校からきまし
た。高校2年の池田和音と、同じく1年の松葉悠乃です。私たち盈進は、「平和・ひ
と・環境を大切にする」教育を展開しています。
Hello everyone. We are from Eishin High School in Fukuyama City,
Hiroshima Prefecture.
I'm Kazune Ikeda, and I'm Haruno Matsuba.
Our school promotes an education that "values peace, people, and the
environment".

02
私たちは、ヒューマンライツ部に所属しています。
ヒューマンライツ部は、平和と人権の環を地域や国際社会に広げるために貢献し
ています。
We belong to the Human Rights Club and contribute to expand the circle
of peace and human rights in local and international communities.

03
その活動のひとつ、「核廃絶ヒロシマ中高生による署名キャンペーン」。
この活動は、中高生にもできる持続可能な平和活動として始まり今年で16年目を
迎えます。
One of these activities is the "Signature Campaign by Junior and Senior
High School Students, a petition for Nuclear Abolition.
It began as a sustainable peace activity that the students could do, and
is now in its 16th year.

04
今から78年前の1945年8月6日。午前8時15分。一発の原子爆弾が広島に落とされ
ました。爆心地周辺の地表温度は約4000度。人々は全身が燃やされ、その年に約
14万人が命を奪われたのです。
It was August 6, 1945, 78 years ago. At 8:15 am. A single atomic bomb
was dropped on Hiroshima. The temperature on the ground surface around
the hypocenter was about 4,000 degrees Celsius. People were burned to
death, and about 140,000 people lost their lives that year.

05
「核廃絶は被爆者の苦しみが原点」
被爆者で、世界の核廃絶をリードしてきた故・森瀧市郎さんの信念です。
私たちの活動の原点でもあります。森瀧市郎さんは、原爆で命を奪われた人々の
存在を胸に、原爆慰霊碑の前で座り込みを続け、核実験に抗議し続けました。
"Nuclear abolition starts from the suffering of Hibakusha."
This is the belief of the late Mr. Ichiro Moritaki, an A-bomb survivor
who has led the world's efforts for nuclear abolition.
It is also the starting point of our activities.
He continued to sit in front of the cenotaph for the A-bomb victims and
protested against nuclear tests.

06
「Never give up」。
被爆者の坪井直さんが必ずおっしゃっていた言葉。
彼こそ、森瀧市郎さんの信念を受け継いでいた人でした。
"Never give up."
The Hibakusha, Mr. Sunao Tsuboi, used to say it.
He was the one who inherited Mr. Moritaki Ichiro's cause.

07
核廃絶を願う人なら彼を知らない人はいないはずです。
爆心地から1.2キロメートル地点で被爆。
20分ほど背中が燃えた状態で逃げ惑いました。背中からお尻にかけて火傷の痕、
ケロイドが残りました。
Mr. Sunao Tsuboi
He was exposed to the bomb 1.2 kilometers from the epicenter, and spent
about 20 minutes running away with his back on fire. Burn scars and
keloids remained all over his back .

08
坪井さんは、2016年オバマ元米大統領と最初に握手した被爆者でした。2021年10
月24日、坪井直さんは96歳の生涯に幕を閉じられました。
He was the first Atomic bomb survivor to shake hands with Mr. Barack
Obama in 2016.
Bad sadly, on October 24, 2021, he passed away at the age of 96.

09
「Never give up」それは、鉄より硬いヒロシマの信念。坪井さんからわたした
ちへの「魂の叫び」です。
"Never give up."
It is the belief that is harder than steel. It is the "cry of the soul"
10
被爆者とその家族は、結婚や就職においても、「いつ差別されるか分からない」
という恐怖の中で生き抜いてきました。原爆がもたらした被爆者の苦しみはその
時だけでなく、その後の人生においても続いているのです。
Hibakusha and their families lived in fear of being discriminated
against, even in marriage and employment. The suffering of the Hibakusha
caused by the atomic bombing continued not only at the time of the
bombing, but also in their later lives.

11
坪井さんも妻の家族から結婚を反対され、自殺未遂を図った壮絶な経験を持って
います。
彼はその時妻と「なにがあっても生き延びようで」と誓いました。
Mr. Tsuboi, too, had a terrible experience when his wife's family
objected to their marriage and he and his wife attempted suicide.
At that time, they vowed to " survive no matter what happens ."

12
坪井さんは語られました。
「一瞬にして多くの命を奪う核兵器は、非人道の極み、絶対悪。核兵器は、この
世に一発でもあってはならない。」坪井さんは私たちに力強くこう語りました。
「命を大事にせよ。命ある限り生き抜け」。
He said, "Nuclear weapons, which took so many lives in an instant, are
the ultimate inhumanity and absolute evil."
There should not be even one nuclear weapon in this world."
He told us emphatically,
"Treasure your lives. Cherish life. Live as long as you can.

13
広島の被爆者・切明千枝子さん。彼女は15歳で被爆しました。
その後、学校にもどると下級生たちが、火傷により、皮膚が剥け、それをぶら下
げ、引きずりながら帰ってきたのです。
Now let us tell you about Ms. Chieko Kiriaki.
She was 15 years old when she was exposed to the atomic bomb.
Afterward, when she returned to school, her classmates came back. They
were burned from the thighs down, and their skin peeled off. They came
back dragging the skin with them.

14
切明さんは語ります。「手の指の先から昆布かワカメを泥水に浸したような真っ
黒いものがぶら下がってるの。一人、また一人。うめきながら泣きながら死んで
いったのよ。それはもう、地獄でございました」
She recounts, "From the tips of their fingers hung dark things that
looked like seaweed soaked in muddy water. One by one, they died
groaning and crying.
It was hell. it was pure hell."

15
彼女は、85歳になって証言を始めました。
彼女は語ります。「私は、過去を忘れたいと思ってきたの。でも、いま、黙って
いたら、再び戦争が起きる気がするの。だから、死んだ仲間のためにも、語るの
よ」
She started testifying her experience at the age of 85.
She told us,
" I have always wanted to forget the past. But now I feel that if I keep
silent, there will be another war. That is why I am telling my story,
for the sake of my friends who have died."

16
93歳になった今、こう語ります。
「『平和』はじっと待っていても来てはくれません。力を尽くして、引き寄せ、
つかみ取り、みんなで懸命に守らないと、逃げてしまいます。だから諦めないで
行動してほしい」
Now, at the age of 93, she says:
"Peace will not come if we sit around waiting for it. It will run away
unless we do our best to attract it, seize it, and work hard to protect
it together. So please don't give up and take action.

17
再び、ヒロシマやナガサキのような惨劇を繰り返してはなりません。「もう誰に
も自分と同じ思いをさせてはならない」という被爆者の素朴で崇高な思いを無駄
にしないためにも、今こそ、被爆者の方の声を全世界に発信しなければなりませ
ん。
We must not repeat the tragedies of Hiroshima and Nagasaki.
Now is the time for us to send their voices to the whole world, so that
Hibakusha's desire that "No one should ever have to suffer as they have.
" will not be in vain.

18
私たちは、彼らの証言を英語に訳し、インターネット上で全世界に発信していま
す。
We translated their testimonies and now they are available on the
Internet.


19
ヒロシマに住む私たち、そして、被爆者の方から思いを受け取った私たちは、そ
れらを後世へと継承し、核廃絶の実現を諦めてはいけないのです。
We, who live in Hiroshima and have listened to their testimonies must
not give up on the realization of nuclear abolition.
We must convey the Hibakusha's thoughts to future generations.

20
私たちは、常にヒバクシャに学び、ヒバクシャと共にあります。
We have learned from the Hibakusha and their words will always remain
with us.

21
だから、坪井さんの信念や切明さんの想いを引き継ぎ、私たちはこう叫び続けま
す。
Therefore, taking over Mr. Tsuboi's cause, and Ms. Kiriake's opinions,
we will continue to cry out as follows.

22
「WE WILL NEVER GIVE UP!!!!」

23
ご清聴ありがとうございました。
Thank you for listening!

2023年8月6日日曜日

8月5日 帰国・解団式

8月5日

広島空港へユース非核特使 全員が無事に元気に到着しました。
この日は翌日の8月6日に向けて、同便で各国大使も広島入りをし、
少し緊張した雰囲気の中での迎えとなりました。


8月6日の前日に帰国してきたことも、何かを意味するものかもしれません。
久しぶりに会えた家族の温もりに触れ、ホッと安心した表情を見せる二人。
ウィーンでのプレゼンも全身全霊で取り組んできたことを、保護者にも伝えてい
ました。
こうした機会を得られていることに再度感謝し、これからも被爆の実相を、被爆
者の魂の叫びを、
自分たちの言葉で、声で伝え続けると決意を新たにしました。


翌日、二人は後輩たちと合流し、広島での平和記念式典に参加。
慰霊碑の前で、自分たちが国連で伝えてきたことを報告しました。

派遣のまとめはあらためてホームページで掲載する予定です。

8月3日

8月3日

市内視察をしました。
シュテファン大聖堂や、オーストリア国立図書館、美術史博物館を訪れました。
オーストリアの歴史や文化に触れ、街の雰囲気を感じることができました。
きれいな街並みを見つつ、現在でも世界各地で行われている戦争や紛争の現実を思い、
いかに平和な世界を築くために自分たちが行動できるかを、仲間と共に考える一日となりました。
 

8月2日

 

8月2日
小笠原軍縮会議日本政府代表と面会しました。
現在の核保有国や、核兵器禁止条約に対する日本の体制、取り組みについお話を聞きました。今後、核廃絶を成し遂げるために日本がどのような役割を果たすべきなのか考える機会になりました。
 
国連ツアーガイドを受けました。
ウィーンの国連には4つの機関があり、それぞれどんな研究をしているのかを案内していただきました。国連の敷地内は治外法権でオーストリアの法律は適用されていないことも初めて知りました。
 

8月1日

 

8月1日
ユースフォーラムに参加し、プレゼンテーションを行いました。
今まで出合ってきた被爆者の方の核廃絶への強い思いを英語で伝えることができました。
広島、長崎だけでなく世界で平和活動をしている若者が集まり、英語で交流しました。
世界にはたくさんの平和を願う若者がいるということが分かり、連帯して一緒に平和をつくっていきたいと思いました。
 
 
 
午後からは、ウィーンのオッタークリング区の高校生と交流をしました。
お互いの国の教育制度について話し合いました。ウィーンと日本では、さまざまな点で違いがあり、日本の教育のいい点も改善していくべき点にも気づくことができました。
 
 

2023年7月31日月曜日

7月31日 第11回NPT再検討会議第1回準備委員会のオープニング

 

7月31日

無事にウィーンに到着し、少しずつ現地時間に馴染みつつ、様々な行事に参加する準備を整えています。
本日は、第11回NPT再検討会議第1回準備委員会のオープニングを傍聴しました。また、中満泉国連事務次長兼軍縮担当上級代表に署名を手渡しました。世界のリーダーたちが英語でスピーチをしているのをみて強い刺激をうけました。そして、中満さんのお話を通じて、若者の力の可能性や私たち若者が行動することの大切さを実感しました。
 

2023年7月30日日曜日

結団式 

7月29日(土)広島空港にて結団式が行われ、今回の派遣に向けての決意をあら
たに元気に出発しました。
空港にはご家族はじめ、ヒューマンライツ部のお母さんこと、加藤りつこさんも
見送りに来てくださいました。
2人はこれまで出会ってきた被爆者の方々の魂の叫びと先輩たちから引き継い
だ思いと共に、現地へ向かいます。

国連スピーチ内容

本校生徒2名が今回の派遣で魂を込めて伝えたスピーチの内容です。 二人は一度も原稿を見ることなく、聴衆の目を見て被爆者の思いを全身全霊で英 語で伝えました。 国連スピーチ  テーマ「We Will NEVER GIVE UP」 01 みなさんこんにちは。私たちは、広島県福山市...